momo-kaun2007-04-08

主人の一家はクリスチャンなので、イースター礼拝は欠かせないイベントです。
非クリスチャンにとってはイースターといわれてもいまいちぴんとこないですよね。わたしはそうでした。要は、十字架にかけられて死んだはずのキリストが数日後に墓から出て来た(復活した)ことを祝う行事です。クリスチャン的にはクリスマスよりもずっと重要なんだそうです。
わたしは洗礼を受けていないので(主人の属している宗派では妻の改宗は必須ではありません)いまだに非クリスチャンですが、結婚が決まった頃から毎年、イースター礼拝には出ています。
ところでこのイースター礼拝のときのお祈りの文句というのが、いつもの礼拝のときと少し違うんですが、初めてのときから今までずっと、この礼拝に出るたびにわたしが面食らう部分があります。それは、「キリストの血と肉を食することで自分たちが清められる」といった思想が出てくることです。生まれてこのかた当たり前にそういう思想に接して来た主人はなんとも思わないようですが、そうではないわたしにはちょっと耐えられない感じがするのです。
ネパールの寺院では、神前にお供えとして生きた山羊や鶏を引っ張って行って、その場で首を切り落としてその血を定められた場所に噴きつける、といった行為が当たり前に行われていて、慣れないわたしたちの目にはかなり残酷な感じがするものですが、それにはわたしは慣れてしまいました。お供えした動物の肉は切り分けて持ってかえって「お下がり」として皆で食べる、というのも自然なことのように思えるようになりました。日本にもそういう思想はなくはないからです。
しかし「人々の罪をあがなうために十字架にかけられた人の血肉を食べる」というのは、、、どうもなじめないんです。なんでなんだろう、と礼拝に出るたびに思ってしまいます。
何か、わたしとこの「キリストの血肉」思想の間をとりもってくれるようなヒントが、どこかにみつからないもんでしょうかね。